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Essay
呪い師(まじないし)




山梨の名産・巨峰とロザリオ・ビアンコ
 

順天堂大学同窓会誌 茶崖.原稿 1991/9

学生時代の夏、セツルメント活動という福島県の無医村での住民検診に参加した事があります。前の年に参加した友人から「この辺りの村では排便後、紙を使わずに竹のへらで尻を拭いている。」 という話を聞いたのが、それに参加したきっかけなのです。

 今から25年も前の事とはいえ、すでに物は豊かにある頃で、化学肥料も広く普及しており、下肥などを利用する時代はとうに過ぎ去っていました。それはとても信じられない話のように思えました。列島改造計画とやらで道路の整備も進みはじめ、当時の日本にそんなチベットの山奥みたいな所があろうはずがないと思われました。「ほんとかどうか見に行こう。」 と、いい加減な動機でもうひとりの友人とそのまじめなプロジェクトに加ったのを、夏の暑い夜になると思い出します。

 約2週間、東京から代わるがわり教授や先輩の先生方が診療に来られ、無医村に散在する集落を毎日移動して回りました。診療室やレントゲン装置を設営し、血液検査、尿検査などを、我々学生は担当しました。その年訪れた村の分校は、すでに水洗のトイレが完備されており、そこが我々の宿舎となっていました。したがって、残念ながら竹へらの便所には入る事が出来なかったのです。 この時の慰労会で、顧問の北村和夫教授(内科・循環器)が酒を飲みながら次のような話をしてくださった事が、今でも強く印象に残っています。

『とても情が深そうで、いつも親身になって患者の治療にあたっているような医者がいた。でもある時、彼の力がおよばず患者は亡くなってしまった。彼は患者の前で遺族と共に涙を流し、親切に診てもらったと皆から感謝された。 一方、同じ病気の患者を診ると、たちどころに正確な診断を下し、適切な治療によりその患者を救うことが出来る医者がいた。だが、もし前のような医者が診ていたら、きっと死んでしまっただろうとは、患者自身も周囲の人達も気がつかず、命拾いした事にことさら感謝する事もなかった.』

「前者のような医師の事を指して、良医とは言わない。正確な診断と治療が出来るように、いつも勉強し努力するのが良医のつとめだ。」というお話でした。

 私の母校の順天堂大学には、 『名医たらずとも良医たれ』 という校訓の様なものがあります。この名医と良医については、いろいろな解釈があるわけです。名医については、いずれも同じような解釈で、皆さんも想像されるような、日本一の権威者クラスの医者を指しているのだと思います。一方、良医については、さまざまな解釈を聞いた事がありましたが、今でもこの話だけは強く記憶に残っています。

 当時は気がつかなかったのですが、この話の中には、もうひとつ教訓と思える事柄が含まれている事に、ある本を読んでいるときに気づきました。

 『身体的のみならず精神的にも弱者の立場にある患者にとって、医師の言葉や態度は特別な意味を持つものだ。ワラをも掴む心境でいる患者に対して、たとえ嘘であっても 「私に任せなさい。」、 「大丈夫、治ります。」 と自信たっぷりに言う医師は、何と信頼できるように見えることでしょうか。つまり、医師の言葉はきわめて操作性の強いものであり、患者の信頼を得るのは、医学という厳密な科学とはまったくなじまない言葉であるというのはおかしな話である。』 という文章を読んだ時です。

 治療の手段として、意図的にそういった『言葉』が用いられることは、大切なことであろうと思われますが、純粋に医学的な治療に加え、その『言葉』がどれだけ有効であったのかを、正確に評価することは、かなり困難なことのように思えます .

「名医が、薬の治験(薬が効いているかどうかの調査や研究のプロジェクト)に参加すると、プラセボ(偽薬)との差があまり出なくなってしまうものだ。」と、私の恩師である塩川優一教授(現:厚生省エイズ・サ−ベイランス委員長)は、冗談のようにおっしゃっていたことがあります。 確かに、診断や選択した治療法がまちがえていても、病気が治ってしまうこともあるでしょう。結果だけを評価するならば、それも許されるのでしょうが、科学とはそういうものではないと、私は理解しています。医者は、呪い師(まじないし)ではないのですから・・・.

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