少し前、ヒヒの肝臓をヒトに移植した時のインフォームド・コンセント(以下ICと略)が、ある雑誌に掲載されていました。これには、病気の性質、患者の状態、手術を受けなかった場合の予後、受けた場合の予後、予想される危険性などありとあらゆる可能性が明記されており、最後に手術を承諾した患者のサインがしてありました。
このプロジェクトには、私より少し若く、UCLA時代の友人である岩城祐一教授が参加していました。当時、札幌医大出身の彼は、組織適合抗原(HLA
typing)の分野で世界のリ−ダ−であるP.I.Terasakiという日系人の教授のもとにおりました。私はリウマチ科で自己抗体の研究をしていたのですが、その細胞傷害性試験の論文は、彼らとの共同研究でした。帰国後、順天堂の膠原病患者約
500人のHLA-typingをたったの2ヶ月間でやり終えた時には、彼らの多大なる援助がありました。
ところで、このICは、まさにひとつの総説といえるくらい詳しく書かれていたわけですが、はたして肝移植を受けなければならないような状態の患者がどれ程十分に理解してサインしたのやらと疑問に感じています。今度、彼に会ったらその点を確かめておきたいものだと思っています。医療訴訟の多いお国柄で、世界初の危険な治療をするわけですから、自己防衛的な要素もあるように、私には思えてならないのです。
つい先頃も、タレントのガン告知会見なるものが話題になったりしましたが、この事だけに限らず、ICの問題はマスコミにしばしば取り上げられるようになってきました。彼らが鬨の声を挙げるがごとく賛同するのは、少し感情的になりすぎているし、それ程簡単に割り切れる問題ではないと思います。
今までも、個々の患者の性格、立場、病状、病期などによって、医者が一番慎重に対処して来た問題であり、医者が何も考えないでいたかのように非難されるのも困った事のように思います。 ただ、大抵の場合に、重大な疾患やその治療の時だけを問題視しているようなのですが、日々の診療における小さな病気の時でさえもこれは大切な事で、この点は今まで比較的おろそかにされてきたのではないかと考えています。
「患者が納得しさえすればそれで良い」とか「ちがう説明をしても、病める気持ちが救われるなら、それも治療の一環である」というように、適当に患者を言いくるめてしまうような事がいとも簡単に許されてきたこともあるように思うのです。
病気や治療に対する多くの誤解の一部は、こうした結果から生まれているのではないでしょうか。患者自身に正しい知識を身につけてもらい、なぜ現在の治療を受けたり、薬を飲まなければならないのかを充分に理解してもらう事は、これからますます重要になるように思うこの頃です。
